桜ヶ丘の歴史

小野山から木瓜原(現在の立命館あたり)にかけて周辺から7~8世紀頃の製鉄の跡がたくさん発見されている。工場開発地から土器も発見されている。山林であったため、薪の採取や松林が多くあったので松茸が自生していた。また水源涵養のため周辺には多くのため池も作られている。通称丘の地区とよばれ、畑地が作られ、なし・柿・ぶどうなどの果樹が作付けされていた。一時期(昭和50年頃)今の桜ヶ丘の一部(第2期開発の部分)にゴルフ場が作られたことも町内の記録に残されている。

昭和41年 滋賀県並びに草津市の企業誘致により、(旧)松下興産(株)(現MID都市開発)による開発が始まる。

昭和42年12月 工場ゾーン62万平方メートルに松下工場(現パナソニック)の着工。

昭和45年 住宅ゾーン38万平方メートルにて第1期着工(分譲は昭和48年4月~51年9月)

第1期 昭和48年5月撮影

第1期 昭和48年5月撮影

昭和48年 当団地を桜の名所にしようと団地中央に総延長1kmの桜並木を設置。

昭和49年4月 住民多数の賛同を得て「野路桜ヶ丘」に決定。(現在は桜ヶ丘)

昭和53年12月 住宅ゾーンにて第2期着工(分譲は昭和55年4月~58年3月)

第2期 昭和56年7月撮影

第2期 昭和56年7月撮影

昭和55年4月 守護神の造営。桜ヶ丘町内の自然の緑を残した山の上に、野路町「新宮神社」より分社造営された。

昭和55年8月 神社の入魂を期に第1回奉納夏まつりを実施。御神輿は松下興産より寄贈・奉納。現在も8月に例年行事として催されている。